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健康コラム

くも膜下出血から奇跡の生還を果たし、リハビリを続けながら執筆活動を行うコラムニスト・神足裕司が日常をつづっていきます。

お盆


皆さん、お盆休みも終え一段落着いたころではないだろうか?今の我が家は、娘も息子もお盆休みのある職場ではないので実感はあまりない。ただ、東京は静かにちょっと人口密度が減って、東京と言う地方都市に戻る瞬間である。のんびりした東京。正月と、このお盆休みの東京は悪くない。

以前は正月とお盆は家族で必ず広島に帰省していた。ボクは週に2日テレビとラジオがあったので、週末は年中広島で過ごしていた。もちろんそのほかの曜日は東京や大阪のテレビやラジオ、取材や原稿の締め切りなんかがあるわけで広島にはいない。だから普段とは逆で広島に家族を残して東京の自宅に単身帰宅という夏休みを過ごすわけだ。

原爆の日前後から三週間ほど。大抵、車で東京から出発して途中大阪のテレビに出るついでに明石や京都に寄る。明石では明石焼きを、京都ではくずきりを、なんて美味しいものを家族で食べた。最初のうちは帰省ラッシュに見舞われ何十時間もかかって広島に到着していたが回を重ねるごとに熟練していく。何時ごろあの渋滞スポットを通り抜けられればいかに快適かなんていうのも身をもってわかってくる。後半はあまり渋滞にも出会わず東京~広島間を行き来した。

広島に着いても車で秋吉台や福岡、香川や島根など色々な所にじいさん、ばあさんを連れて小旅行した。それと、広島では何件もの墓参りをした。母方の祖父母、父方の祖父母、おじさん、お世話になった隣の叔母さん、市内のとうかさんや護国神社、廿日市、山口まで墓参りに行った。

広島の夏は東京とは逆に人口が倍ぐらいになるんじゃないだろうか?原爆の日前後には世界中から平和記念式典めがけてやってくる。ボクタチの様に帰省組みもいる。こうしてお盆の様子を書いていると本当に懐かしい。両親がいなくなって病気をしていっきに故郷は遠くなった。いつでも帰れるそこにある広島だったはずが遠い地になってしまった。

広島を大学のため出てから40年は裕に過ぎた。広島で生活していた倍の月日が東京で流れたことになる。今は最初に書いたように東京のよさがちょっとだけわかるようにもなってきたが、それでもいつまでたっても広島人の自分が本当の自分だと思う。きっと死ぬまで東京人にはなりきれないで、広島の人間なんだろうなあと考えるお盆であった。


著者紹介

神足裕司(こうたり ゆうじ)

1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。 朝日新聞月曜朝刊「コータリンは要介護5」連載中。

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