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健康コラム

くも膜下出血から奇跡の生還を果たし、リハビリを続けながら執筆活動を行うコラムニスト・神足裕司が日常をつづっていきます。

西城秀樹さん


西城秀樹さんが亡くなった。ニュースで速報を見てショックを受けた。
もう23年前になるが秀樹さんとワイドショーでご一緒したことがあった。お忙しい秀樹さんとはなかなか話す機会がなかったが、それでも最後のほうは雑談もするようにもなった。

それから15年くらい経ってからひょんなところで秀樹さんと再会することになる。
娘の学校に用事があり駅からの坂道を歩いていると、秀樹さんがまだ3-4歳のお子さんの手を引いて歩いてくる。「あ!神足さん!!」あまりに気さくに挨拶してくれたので驚いたぐらいだ。2-3言葉を交わし「よくわかりましたね」そう言うと「神足さんまったく変わってないから」そう言った。「秀樹さんこそ」そう言ったかどうか覚えてないがじっさい秀樹さんは15年前とちっとも変っていないぐらいかっこよかった。

ボクははげ頭に黒縁めがねで蝶ネクタイこそつけていなかったが50歳だか60歳だか年齢不詳のまま15年くらいが過ぎたのだけど、西城秀樹さんはかっこいいまま普段の姿も変わっていなかった。ジーンズに水色のシャツを着ていたが今でもその姿が忘れられない。お父さんの秀樹さんも実にかっこよかったのだ。
下のお子さんが生まれたとかで時間を見つけては育児も手伝っているんだろうな、とお見受けした。

ワイドショーに出ていた時の西城さんは同郷だとは知っていたが、軽々しく話ができる感じでもなく雲の上の人のようであった。テレビを見ていた広島の知人は「○○のお兄さんと秀樹さんのお兄さんは同級生でぼくも広島駅近くのあの喫茶店で一緒になったことある」そんな秀樹さんとのつながりを何人からも聞いた。そんなわけで広島特有の、同郷はみんな知り合いみたいな感じでボクのほうは勝手にかなり親しみをもっていた。が、そんな話をすることもなく社交辞令的な雑談をごくわずかにしたぐらい。

だから坂道で再会した時に声をかけてくれたことがちょっと意外だった。そしてよく覚えていてくれたものだとうれしかった。

それからしばらく経ってからボクはクモ膜下にみまわれるが、同じ年の年末、脳梗塞の再発で倒れたと聞いた。病気になってみて何回か再発された秀樹さんのリハビリの経過がどれだけ大変だったか、家族と子どもたちと懸命に生きてこられたことが一言ではいいつくせない努力のうえに成り立っていることがわかる。

舞台に立って歌うこと。それを続けてこられた西城秀樹さんに敬意を表したいと思う。


著者紹介

神足裕司(こうたり ゆうじ)

1957年8月10日、広島県広島市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。学生時代からライター活動を始め、1984年、渡辺和博との共著『金魂巻(キンコンカン)』がベストセラーに。コラムニストとして『恨ミシュラン』(週刊朝日)や『これは事件だ!』(週刊SPA!)などの人気連載を抱えながらテレビ、ラジオ、CM、映画など幅広い分野で活躍。2011年9月、重度くも膜下出血に倒れ、奇跡的に一命をとりとめる。現在、リハビリを続けながら執筆活動を再開。復帰後の著書に『一度、死んでみましたが』(集英社)、『父と息子の大闘病日記』(息子・祐太郎さんとの共著/扶桑社)、『生きていく食事 神足裕司は甘いで目覚めた』(妻・明子さんとの共著/主婦の友社)がある。 朝日新聞月曜朝刊「コータリンは要介護5」連載中。

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